2016年02月05日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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「こんな一面あったんだ、沖縄で知ったアメリカ文化」
関西学院大学総合政策学部 山中速人研究室 3年 尚山里紗子

◆要約1
今回私がインタビューさせていただいたのは、中高時代の友人の母親である岡田則子さんです。友人は毎年母親と共に沖縄へ里帰りしており、その際印象的なエピソードをよく話してくれていたので、今回の沖縄というテーマを聴き真っ先に岡田さんへのインタビューを思いつきました。岡田さんへのインタビューは、私が今まで沖縄に対して抱いていたイメージと違う、新たな一面について知るきっかけになりました。
岡田さんは沖縄県中部に位置する北中城村で育ちました。北中城村のすぐ近くには嘉手納基地と普天間基地が存在し、岡田さんは米軍基地のすぐそばで子ども時代を過ごしました。特に岡田さんが住んでいた地区は米軍やその家族と日本人が一緒に住めるよう開発されたエリアであり、国籍を超えた交流が盛んにおこなわれていました。ハロウィンやイースターなど、アメリカの習慣や文化に子供の頃から触れていたそうです。
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◆要約2
アメリカ文化や表現に馴染み深い生活を送ってきた岡田さんは、英語やアメリカ文化に興味を持ち、高校二年生の時に留学にいく事を決意します。アメリカカルフォルニア州に一か月滞在しました。アメリカ留学中、岡田さんはかわった体験をします。それは留学先で初めて君が代を知るという体験です。他の留学生に君が代について知らない事を大変驚かれ、岡田さんは複雑な感情を抱きます。君が代については現在も激しい対立があります。沖縄ではアメリカ占領下にあったことで、君が代に良い感情を抱いていない教育者もいたことでしょう。しかし、だからといって君が代について何も教えないと、そういった歴史についてわからなくなってしまうかもしれません。大切なのは問題の本質ではなく、問題の全容についてきちんと知り、自分の意見を選択することです。岡田さんにとってこの留学は、海外で自国の問題についてしる変わった経験となりました。
その後岡田さんは、東京の大学に進学し英語について学びます。東京にでて岡田さんが沖縄との違いを感じた1つは、天気についてでした。東京の晴れは沖縄に比べてグレーがかっており、初めはずっと曇りだと思っていたそうです。沖縄の綺麗なブルーと違う東京の空に最初は驚かれたそうです。
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◆要約3
また、東京の大学に進学したことで、アメリカ文化が沖縄にいかに浸透しているかも実感したそうです。授業では英語の勉強のため洋画などを見る機会が多かったそうですが、その映画を見ている際、ほかの生徒が理解できないちょっとした英語表現や仕草の意味、ニュアンスを理解できている自分に気づいたそうです。
そういった岡田さんの話を聞き、沖縄の方は、沖縄に住んでいることで英語やアメリカ文化が身近になる一面をメリットとして感じているのか疑問に感じました。実際、沖縄に住んでいると英語が身近なことはごくあたりまえのことなので、それらをメリットだと感じることはあまりないそうです。しかし最近ではそういった一面をポジティブに活用し、沖縄で英語を学ぶ国内留学のプログラムがおこなわれています。
今回、岡田さんへのインタビューを通して、米軍基地をかかえる沖縄のもつ複雑さを理解すると同時に、そのような現実をしっかりと受け止め、けっしてネガティブにならず、活き活きと暮らしていこうとする、沖縄の人たちの力強さも知りました。今回のインタビューをとおして、沖縄についての新しい一面を知ることができて、たいへんうれしく思っています。ありがとうございました。
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2016年02月04日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

◆進級制作課題
内地に住む沖縄人の多様性
〜沖縄から関西、そして世界を見てきた女性、「平田薫」〜
担当:大道竣
取材相手:平田薫(関西学院大学高等教育推進センター勤務)
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チャプター1
今回、私大道竣は、関西学院大学、高等教育推進センターに勤務されている、平田薫さんにお話を伺いました。
平田薫さんは、1964年生まれのショートカットがお似合いの明るくて笑い声が素敵な女性でした。彼女は非常に活発な女性だったようです。大学に進学し、かねてから興味があった心理学を学ぶ最中、沖縄以外の人々と接することが増え、平田さんの中に「沖縄から出たい」という想いが芽生え、大学院に進学する際に関西の方にやってきました。洋上大学で中国の広州、シンガポール、マレーシア、インドネシアなど、様々な国を訪れたり、アメリカに留学したりしてその現地の人々と交流することで、「どこに行っても人はそんなに変わらない」という平田さん独特の考え方を身につけられました。
そんな平田さんとお話していく中で、私の中の「沖縄」のイメージを覆すようなお話をいくつか聞かせてもらいました。まずは、「沖縄の人は泳げない人が多い」というお話です。
戦後は沖縄にはプールが少なかったことが原因の一つだと言います。
もうひとつは、沖縄の方言である「うちなーぐち」です。沖縄生まれの平田さんは話すことができないそうです。「うちなーぐちを話せる人の方が少なくなってきている」と彼女は言います。関西弁にも大阪弁、京都弁、播州弁など種類があるように、うちなーぐちにも出身地に応じて、様々な種類があるようです。私にとって、沖縄=うちなーぐちのイメージがかなり強く、沖縄の人は皆うちなーぐちを理解し、話すことができるものだと思っていたので、うちなーぐちを話せる人数が減っているという話に非常に驚いたと共に、一つの言語文化が衰退しかけているという現状に複雑な思いをもちました。
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チャプター2
 次に、平田さんに「沖縄」についてどう感じているかを聞きました。「沖縄にはイラっとする」と話す平田さん。その理由には様々な事柄や思いが絡み合っているようで、それにも関わらず話が進まない状態の沖縄に対する不安や疑問を話してくれました。
中でも私が印象に残っているのは、「日米地位協定」ついての平田さんの見解でした。この協定では、米軍基地内ではアメリカの法令が適用されることになっているのですが、それによって、米軍の横暴が裁かれないことが多々あったようです。基地があることだけで怒っているのではなくて、そのような理不尽が積もり積もって怒っているのだと言います。沖縄の方々が何故基地をいらないと言い続けているのか、その一端を知ったような気がしました。
 そうした沖縄が抱え続けてきた状況への憤りもあって、平田さんは「沖縄から出たい、違う世界を見てみたい」と考えるようになったそうです。そして大学院に進学する際に、関西にやってきました。その時分に洋上大学で海外を回る機会を掴みました。この耳慣れない「洋上大学」とはなんなのでしょうか。平田さんに当時の経験と共に語っていただきました。
その後1992年に高等教育推進センターに就職し、96年に結婚し、そのまま98年までの2年間、アメリカに留学しました。そこでの経験が「どこに行っても人はそんなに変わらない」という現在の彼女の考え方に多かれ少なかれ影響しているといいます。

チャプター3
戦後70周年を迎えたということで、「沖縄戦」についてもお聞きしてきました。平田さんは戦後生まれですが、彼女の両親や、祖父母は実際に戦争を経験しておられます。しかし、どうやら彼女のご家族は戦時中には沖縄にいなかったようです。ご両親などから聞いた、戦時中の特殊なお話を語っていただきました。「父は久米島で母はパラオ出身のお嬢様で、母方の祖父が鰹節工場を経営していた。そこで戦争に遭い、逃げる最中に二度ほど船に穴をあけられた。」
このような壮絶なご両親、祖父母のエピソードをきいて育った平田さんは、戦争について自分自身はどのような考えをもっているのでしょうか。お話を伺いました。
「結局戦争はしたらダメ。現代人は、戦争はあるものとして捉えている節があるがそうではなくて、人と人が殺し合うなんてそんな気色の悪いことをしたらダメ。」
当たり前のようだけれども、それは、確かな言葉でした。結局は戦争をしてはいけないと、みんなわかっているはずなのに、どこかで「戦争があるのは仕方ない」と我々人間は思っているのかもしれない。そのような思いが戦争を生む種になっているのかもしれない。そんなことを考えされられると同時に、「戦争はいけない」「人と人が殺し合ってはいけない」という当たり前のことを改めて胸に刻まれたような思いでした。

チャプター4
彼女の信念は、何度もお伝えしているように「どこに行っても人はそんなに変わらない」という考え方です。沖縄だから、外国だからなど、そういう風にラベル分けして見るのではなくて、社会や環境という別の視点から物事を見る。これは、沖縄や日本だけではなく、世界各地を渡り歩き交流してきた平田さんだからこそ言える言葉ではないかと思います。私たちは無意識の内に日本人だからとか、外国人だからとか、関西人だから、沖縄人だからと、壁を作ってしまうことがあります。しかしそれはただ、生まれた場所や育った環境が違うだけで、私たちは同じ「人間」なのです。
平田さんにお会いする前は、沖縄人は関西人に比べてこうだとか、沖縄の文化はこうだとか、いわゆる「沖縄らしい」お話が聞けるものだと思っていましたが、お会いしてモノの数分で、「沖縄も関西もそんなに変わらない。人間どこいってもそんなに変わらないよ。」と平田さんがおっしゃったのを聞いてとても驚いたのを覚えています。しかし、それこそが「平田薫」という人物なのです。ステレオタイプに囚われずに物事を見るその姿勢は、活発に話すその姿と相まってとても輝いて見えました。
IMG_0238.JPG(この写真は火曜日の番組にはいつもおいでになる長田区社会福祉協議会の職員が関学の先輩という事でスタジオで話が弾んだのをパチリ!
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2016年01月12日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 4年卒業制作 第15回

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テーマ:「後を継ぐ者」
担当:奥井啓太

◆チャプター1
世の中には「就職」を選ぶ人と「家業を継ぐこと」を選ぶ人がいます。特に職人の家系にある人は、その問題に直面します。実際、その問題に直面したのが私の父です。
父は畳屋を経営して2代目です。何故継いだのかをインタビューしてみると、畳が売れていた・幼いころからアルバイトとして手伝っていた、と様々な要因がありましたが、その根底にあるのは、祖父を尊敬していたという感情だと思いました。
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◆チャプター2
「職人技は教えてもらうものではない。見て盗むものだ」一見厳しいようにも思えますが、その考えがあったからこそ自分から進んで技を体得していけたのだと思います。
父が祖父から経営を任されたのは震災から3年が経った頃。父は一番いい形で継承できたと語っていました。
どんどん和室の数とともに畳屋の数も減少している中、父は、横の広がりを持つ為に、同業者の2代目3代目を集めた「2世会」という組織に所属したり、い草の現地へ行き勉強するという、祖父とは違うアプローチで顧客を増やしていきました。
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◆チャプター3
減りつつある畳ですが、2020年の東京オリンピックでは畳でおもてなしを考えられていたりして、この先案外畳が求められることもありそうです。
父は、工場などではできない作業が畳職人にはできる。それがプライドでありポリシーであると語っています。体がもつ限り仕事を続けられることも、職人の良さだと言います。自分の仕事に責任感と誇りを持っているように感じました。
不本意な形で家業が倒産するのはいたたまれません。継承しないことを選んだ人は出来るだけサポートをしてあげられたらと思います。 
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