2015年12月08日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 4年卒業制作 第11回

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タイトル:「街の記憶を未来に贈る芝居小屋、出石永楽館」
担当:荒木せりか

第一章
「ボロイしょうもない芝居小屋復原」
人口1100人ほどの兵庫県北部にある、豊岡市出石町には「出石永楽館」という、今話題の歌舞伎界のプリンス片岡愛之助が座頭を務める公演を行うような、町民、歌舞伎ファンからも注目を集める、昔ながらの芝居小屋がある。そんなノリに乗っているような芝居小屋であるが、44年間閉館していたという廃れた時代を乗り越えた芝居小屋である。この出石永楽館は明治時代、ここ出石町で紺屋を生業とした非常な芝居好きのオーナー小幡久次郎によって竣工した。明治時代は歌舞伎や寄席の公演を行い、大正昭和時代には立憲主義政治家の政談演説で町民の関心の的であった建物だった。しかし、娯楽の多様化で芝居小屋に足を運ぶ客が減り、ついには芝居小屋ではなく「パチンコ屋」へとビジネスモデルを変えた。1964年に閉館をする。
しかし、20年ほど前「出石城下町を活かす会」という地元の出石町民は「永楽館こそ出石の町並み保存である」と声を上げ、永楽館復原を町民に訴えかける。しかし、当時生きていた人は永楽館という芝居小屋に税金をかける必要性を感じない町民も少なくはなかった。しかし、2008年一市五町の新豊岡市誕生のきっかけで出石永楽館は豊岡市のシンボルとなりうるという中貝市長の期待の元、「新永楽館」も誕生した。
新永楽館誕生を記念して、片岡愛之助、中村壱太郎、片岡秀太郎という上方歌舞伎を代表する役者を招いて、杮落公演を開催するも、誰も歌舞伎の運営方法が分からず四苦八苦する。そこでできた人と人との繋がりとは。
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第二章
「芝居と町並みで遊ぶことに共通すること」
もちろん「出石永楽館復元」は街おこし目的で実現した。行政や旅行会社の皆さんが猫も杓子も使う「街おこし」って一体何であるか。街に遊園地?グルメ?浴衣を着ること?すべて「街にお金が落ちる」という意味では正解である。しかし、これだけ情報化が進みすぐに人は「飽き」を感じる時代。その中で出石町は「旅行者を楽しませてナンボ」という、従来の観光スタイルよりは進歩しています、それは「ここに住んだら」どんな生活が出来るんだろうと「その気にさせてしまう」観光である。お客様にそんな気持ちを与えることは出石町では簡単にクリア出来ている。「自分たちがその土地で楽しんでいるものを、そのまま提供」することで実現している。その土地で、その瞬間でしかできない、遊び、食事。ライブ感こそ価値。それは芝居に共通している。

第三章
「文化のある生活が何を未来に残すか」
文化で街おこしは、ヒットしなかったときが大変だ。実際永楽館歌舞伎も座頭の片岡愛之助がドラマでブレイクしてから、そのブレイクに比例するように永楽館歌舞伎も勢いづいた。しかし「片岡愛之助が来ている、めっちゃ流行っている歌舞伎=街おこし」という考えは成り立つのであろうか。そではないはずだ。片岡愛之助が来る歌舞伎を成功させようと、街の人が張り切ることが街おこしではないか。このイキイキして成功させてやろうという、意気込む過程が街には必要。それは歌舞伎公演だけではなく、地域の「お祭り」でも共通すること。その過程こそが記憶になるのである。
posted by fmyy at 15:34| Comment(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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