2016年02月19日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

清水亜美@.JPG
〜喜納兼一さん、沖縄人としての78年間〜
関西学院大学総合政策学部 山中速人研究室 3年進級制作番組担当:清水亜美

◆要約@
今回私は、沖縄県人会兵庫県本部、元会長の喜納兼一さんにお話を伺いました。喜納さんは現在78歳で、物腰が柔らかくゆっくりと話して下さいました。
ご両親が沖縄県出身で、喜納さんが小学校入学前に尼崎に移られ、以降ずっと尼崎で暮らされています。高校生の時から沖縄県人会の活動に携わり、兵庫県本部の副会長、また会長も務められました。
沖縄県人会とは、本人あるいは親族が沖縄県出身者であり、その方々が日本全国または外国で結束して助け合い、親睦を深める任意団体です。国内だけでなくブラジルやハワイなど、沖縄県からの移民が暮らす多くの国や地域にも県人会があります。
喜納さんは、自身が所属する沖縄県人会兵庫県本部を通して、沖縄の本土復帰運動、また復帰後の活動も積極的に参加されてきました。沖縄復帰以前は青年部長を務め、沖縄復帰運動や沖縄に関する教宣活動、また結核患者や沖縄へ帰る人の援助などを行っていたそうです。
清水亜美A.JPG

◆要約A
沖縄復帰後は米軍基地を減らす活動やデモ行進の手助けだけでなく、沖縄出身者でない人に少しでも沖縄に理解と関心を持ってもらおうと、様々なイベント活動や沖縄の文化を本土でも育てる活動をしてきました。その活動の一つとして、琉球文化であるエイサーをお祭りなどの場で披露しています。沖縄県人会ではエイサーを専門に活動する「琉鼓会」という団体が結成され、5、60人のメンバーが参加しています。
このような県人会の活動に、喜納さんはどのような思いで参加されてきたのか伺いました。
沖縄返還以前は、「一刻も早く沖縄を本土に復帰させてほしい」という強い思いだったそうです。当時沖縄に行くにはパスポートが必要とされており、そのことも沖縄の本土復帰を強く希望する理由の一つだった、と喜納さんはおっしゃいます。
また、当時は「復帰すれば本土とみんな同じになれるものだ」と思っていました。しかし、現実はそうではなかったのです。少女暴行事件で明らかになったように、復帰から数年が経っても、まだまだ不便なことや本土との格差がたくさんある、と段々気づくようになりました。
現在でも基地問題があり、住民へ多くの危険が及ぶ可能性があるため「アメリカ軍基地を減らしてほしい」、それが今の思いだそうです。
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◆要約B
喜納さんにとって沖縄とは、どういう存在なのか伺いました。
「自分のルーツだと思っている。私の子供たちとか孫たちは沖縄をどのように思っているかわからないけども、それはそれらの人が考えることで、私自身は自分の故郷は沖縄だと思っている。」
この言葉を聞いて、ルーツの大切さを改めて実感すると同時に、ルーツがない人はこの世に存在せず、その原点があるからこそ、今の自分が存在しているのだと私は感じました。
また、喜納さんに沖縄人としての誇りを話して頂きました。
沖縄は元々土地が広くて作物が良くとれるという所ではない、と喜納さんはおっしゃいます。しかし一方で沖縄は海に面しており、地理的には、東アジアや東南アジアの各地の中継地としての位置をもってきました。そのような地域に、何百年も前から小さい船で渡って商売をしてきた「海洋民族」であると喜納さんは思っているそうです。その上沖縄の文化は、東南アジアの民族や芸能、朝鮮、中国などの多様な文化を吸収してきた文化である、とおっしゃいました。
今回お話を伺って、喜納さんは本土にいながらも自身の原点を大切にし、一生をかけ、沖縄人として力を尽くしてこられたのだと感じます。沖縄のために、少しでも何かをしたい。その気持ちが人々を奮い立たせ、本土と沖縄の関係やその未来を変えていくのだと思いました。
posted by fmyy at 17:38| Comment(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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