2016年02月20日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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沖縄移住と音楽
関西学院大学 総合政策学部 山中速人研究室3年進級制作番組担当:金 姫粋


<要約1>
今回私がインタビューさせて頂いた方は、日本のブルースミュージックにおいて草分け的な存在である憂歌団の内田勘太郎さんです。勘太郎さんは、もともと関西出身なのですが、21年前から沖縄に住まわれています。元々、私自身、勘太郎さんのファンで、ライブに何回か来ているうちに顔見知りになって、今回のインタビューが実現しました。勘太郎さんは、沖縄のミュージシャンである石垣勝治さんという方と出会って、何日もホテルに滞在するより、アパートでも借りてみようかなと思ったことがキッカケで、今年で沖縄に移住して、21年が経っています。今年私が、22歳になる歳なので、昔の沖縄の風景や建物はガラリと変わっていて、あの当時は、まだ舗装されていない赤土の道があったり、絶滅危惧種であるマングースの群れがたくさんいたことを聞いているうちに、私の知らない昔の沖縄の風景が目に浮かんできました。
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<要約2>
沖縄に移住されてから驚いたことが多々あったみたいです。特に、沖縄の音楽の文化に、日常にこんなにもたくさんの音楽が溢れていることに驚いていました。沖縄に住んでいると、それが習慣的なものだと思っていたため、私自身気づかずに生活していましたが、他県の人たちから見たら不思議な文化だと感じていたことに、逆に私もビックリしてしまいました。また、沖縄に住み始めてから、出したアルバムの中に、美らフクギの林からという曲があります。私は、この曲がとても好きで、曲の雰囲気が、爽やかな風がそっと吹く晴れた日に、フクギに囲まれた道を歩いているイメージを連想させる沖縄らしい曲です。フクギというのは、台風の多い沖縄によくあり、民家を守る防風林の役割を果たしています。その曲が出来たのは、石垣勝治さんが作った歌詞を見たときに、昔住んでいたアパートで、すぐメロディが浮かんだそうです。沖縄に住んでから作ったというよりは、勝治さんがいて、沖縄に住んだから出来ちゃった曲だと言っていました。そのような不思議な力が、沖縄にあるのかなと感じました。
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<要約3>
最後に、沖縄について観光客の視点で、勘太郎の思いを語ってくれました。沖縄の独自の文化と、アメリカの文化があって、それは、内地の人からするともの珍しいと語っていました。また、本土から進出してきた店がたくさん並ぶのは、沖縄らしさが無くなってしまうから、ありのままの沖縄でいて欲しいと切実に語っていました。私自身、沖縄から関西へ出た2,3年の間に、巨大なイオンモールが出来たり、高校生の時によく行っていたデパートには、本土からきたテナントがたくさん入ったりして、なんだか都会の絵の具に染まっているような気がして、寂しくなりました。しかし、沖縄の人たちは、楽天的な性格で、独特な人たちがたくさんがいて、本土の人とは少し違う感じが私は好きです。
今回、勘太郎さんへのインタビューを通して、沖縄出身沖縄育ちの私には、気づかなかった沖縄を見せてもらえたような気がします。また、インタビュー中に、勘太郎さんが、沖琉球言葉を使っているのを聞いて、とても嬉しく感じました。今回インタビューに答えて頂き、ありがとうございました。
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2016年02月19日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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〜喜納兼一さん、沖縄人としての78年間〜
関西学院大学総合政策学部 山中速人研究室 3年進級制作番組担当:清水亜美

◆要約@
今回私は、沖縄県人会兵庫県本部、元会長の喜納兼一さんにお話を伺いました。喜納さんは現在78歳で、物腰が柔らかくゆっくりと話して下さいました。
ご両親が沖縄県出身で、喜納さんが小学校入学前に尼崎に移られ、以降ずっと尼崎で暮らされています。高校生の時から沖縄県人会の活動に携わり、兵庫県本部の副会長、また会長も務められました。
沖縄県人会とは、本人あるいは親族が沖縄県出身者であり、その方々が日本全国または外国で結束して助け合い、親睦を深める任意団体です。国内だけでなくブラジルやハワイなど、沖縄県からの移民が暮らす多くの国や地域にも県人会があります。
喜納さんは、自身が所属する沖縄県人会兵庫県本部を通して、沖縄の本土復帰運動、また復帰後の活動も積極的に参加されてきました。沖縄復帰以前は青年部長を務め、沖縄復帰運動や沖縄に関する教宣活動、また結核患者や沖縄へ帰る人の援助などを行っていたそうです。
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◆要約A
沖縄復帰後は米軍基地を減らす活動やデモ行進の手助けだけでなく、沖縄出身者でない人に少しでも沖縄に理解と関心を持ってもらおうと、様々なイベント活動や沖縄の文化を本土でも育てる活動をしてきました。その活動の一つとして、琉球文化であるエイサーをお祭りなどの場で披露しています。沖縄県人会ではエイサーを専門に活動する「琉鼓会」という団体が結成され、5、60人のメンバーが参加しています。
このような県人会の活動に、喜納さんはどのような思いで参加されてきたのか伺いました。
沖縄返還以前は、「一刻も早く沖縄を本土に復帰させてほしい」という強い思いだったそうです。当時沖縄に行くにはパスポートが必要とされており、そのことも沖縄の本土復帰を強く希望する理由の一つだった、と喜納さんはおっしゃいます。
また、当時は「復帰すれば本土とみんな同じになれるものだ」と思っていました。しかし、現実はそうではなかったのです。少女暴行事件で明らかになったように、復帰から数年が経っても、まだまだ不便なことや本土との格差がたくさんある、と段々気づくようになりました。
現在でも基地問題があり、住民へ多くの危険が及ぶ可能性があるため「アメリカ軍基地を減らしてほしい」、それが今の思いだそうです。
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◆要約B
喜納さんにとって沖縄とは、どういう存在なのか伺いました。
「自分のルーツだと思っている。私の子供たちとか孫たちは沖縄をどのように思っているかわからないけども、それはそれらの人が考えることで、私自身は自分の故郷は沖縄だと思っている。」
この言葉を聞いて、ルーツの大切さを改めて実感すると同時に、ルーツがない人はこの世に存在せず、その原点があるからこそ、今の自分が存在しているのだと私は感じました。
また、喜納さんに沖縄人としての誇りを話して頂きました。
沖縄は元々土地が広くて作物が良くとれるという所ではない、と喜納さんはおっしゃいます。しかし一方で沖縄は海に面しており、地理的には、東アジアや東南アジアの各地の中継地としての位置をもってきました。そのような地域に、何百年も前から小さい船で渡って商売をしてきた「海洋民族」であると喜納さんは思っているそうです。その上沖縄の文化は、東南アジアの民族や芸能、朝鮮、中国などの多様な文化を吸収してきた文化である、とおっしゃいました。
今回お話を伺って、喜納さんは本土にいながらも自身の原点を大切にし、一生をかけ、沖縄人として力を尽くしてこられたのだと感じます。沖縄のために、少しでも何かをしたい。その気持ちが人々を奮い立たせ、本土と沖縄の関係やその未来を変えていくのだと思いました。
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2016年02月05日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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「こんな一面あったんだ、沖縄で知ったアメリカ文化」
関西学院大学総合政策学部 山中速人研究室 3年 尚山里紗子

◆要約1
今回私がインタビューさせていただいたのは、中高時代の友人の母親である岡田則子さんです。友人は毎年母親と共に沖縄へ里帰りしており、その際印象的なエピソードをよく話してくれていたので、今回の沖縄というテーマを聴き真っ先に岡田さんへのインタビューを思いつきました。岡田さんへのインタビューは、私が今まで沖縄に対して抱いていたイメージと違う、新たな一面について知るきっかけになりました。
岡田さんは沖縄県中部に位置する北中城村で育ちました。北中城村のすぐ近くには嘉手納基地と普天間基地が存在し、岡田さんは米軍基地のすぐそばで子ども時代を過ごしました。特に岡田さんが住んでいた地区は米軍やその家族と日本人が一緒に住めるよう開発されたエリアであり、国籍を超えた交流が盛んにおこなわれていました。ハロウィンやイースターなど、アメリカの習慣や文化に子供の頃から触れていたそうです。
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◆要約2
アメリカ文化や表現に馴染み深い生活を送ってきた岡田さんは、英語やアメリカ文化に興味を持ち、高校二年生の時に留学にいく事を決意します。アメリカカルフォルニア州に一か月滞在しました。アメリカ留学中、岡田さんはかわった体験をします。それは留学先で初めて君が代を知るという体験です。他の留学生に君が代について知らない事を大変驚かれ、岡田さんは複雑な感情を抱きます。君が代については現在も激しい対立があります。沖縄ではアメリカ占領下にあったことで、君が代に良い感情を抱いていない教育者もいたことでしょう。しかし、だからといって君が代について何も教えないと、そういった歴史についてわからなくなってしまうかもしれません。大切なのは問題の本質ではなく、問題の全容についてきちんと知り、自分の意見を選択することです。岡田さんにとってこの留学は、海外で自国の問題についてしる変わった経験となりました。
その後岡田さんは、東京の大学に進学し英語について学びます。東京にでて岡田さんが沖縄との違いを感じた1つは、天気についてでした。東京の晴れは沖縄に比べてグレーがかっており、初めはずっと曇りだと思っていたそうです。沖縄の綺麗なブルーと違う東京の空に最初は驚かれたそうです。
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◆要約3
また、東京の大学に進学したことで、アメリカ文化が沖縄にいかに浸透しているかも実感したそうです。授業では英語の勉強のため洋画などを見る機会が多かったそうですが、その映画を見ている際、ほかの生徒が理解できないちょっとした英語表現や仕草の意味、ニュアンスを理解できている自分に気づいたそうです。
そういった岡田さんの話を聞き、沖縄の方は、沖縄に住んでいることで英語やアメリカ文化が身近になる一面をメリットとして感じているのか疑問に感じました。実際、沖縄に住んでいると英語が身近なことはごくあたりまえのことなので、それらをメリットだと感じることはあまりないそうです。しかし最近ではそういった一面をポジティブに活用し、沖縄で英語を学ぶ国内留学のプログラムがおこなわれています。
今回、岡田さんへのインタビューを通して、米軍基地をかかえる沖縄のもつ複雑さを理解すると同時に、そのような現実をしっかりと受け止め、けっしてネガティブにならず、活き活きと暮らしていこうとする、沖縄の人たちの力強さも知りました。今回のインタビューをとおして、沖縄についての新しい一面を知ることができて、たいへんうれしく思っています。ありがとうございました。
posted by fmyy at 12:14| Comment(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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