2016年02月25日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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関西学院大学 総合政策学部 山中研究室 第8回 黒崎遥
タイトル:上野敏史さんに聞く沖縄で過ごした青春時代〜行ってみないと分からないたくさんのこと〜

上野先生との出会いは、私の地元である西脇高等学校の野球部で、沖縄水産高校出身の先生が活躍していらっしゃる、という話題を新聞の地域欄で読んで興味を持ってインタビューをお願いしたのがきっかけです。この番組では、沖縄出身の方々へのインタビューを中心にお届けしているのですが、今回は、人生の大切な時期を沖縄ですごし、その経験が人生にとても大きな意味をもつことになった方へのインタビューです。沖縄で得た経験を野球指導に活かす上野先生のインタビューを是非お聞きください。

◆要約1
今回インタビューさせて頂いたのは、兵庫県立西脇高等学校の保健体育科の先生であり、硬式野球部の顧問の上野敏史先生です。監督就任2年目の兵庫県大会ではベスト4に進出する実力者である上野先生は、高校生のときに沖縄県への国内留学をし、沖縄水産高校へ進学しました。上野先生は鹿児島県徳之島で生まれで、3歳の時に兵庫県に引っ越してきました。そのため、料理などは沖縄と徳之島共通のものが多かったため、あまり不安はありませんでしたが、やはりそれぞれの島に独特の文化があるため、言葉の違いには特に不安を覚えていたそうです。実際に沖縄に行ってみると、やはり言葉がはじめは全然理解できずに苦労し、兵庫県での常識も通用しないことにカルチャーショックを感じたそうです。沖縄でのそんな経験は驚きの連続でした。
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◆要約2
沖縄で友達が増えていくにつれて、徐々に沖縄の文化や言葉にも馴染んでいく事ができた先生。沖縄で出会った人たちが、仲良くなったら本当の家族のように受け入れてくれるようになった経験が、沖縄へ行って本当によかったと感じさせてくれました。高校卒業後は山口県の大学に通いながら、長期休暇になれば母校で野球の指導をしに沖縄に帰ってくるという生活を送っていました。そうして、大学卒業後は沖縄で教師になるという夢を掲げて歩き出すことになります。そうして、沖縄で1年間中学校の講師をしていましたが、いろいろな事情で、沖縄で教師を続けることが難しくなり、兵庫県に帰ることになってしまいました。しかし、一度はあきらめた教師の夢でしたが、兵庫県でまた新しい出会いがあり、もう一度教師を目指して頑張ることになります。
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◆要約3
ついに30歳の時に教員採用試験に合格し、現在の西脇高等学校に配属されました。そこでは、自らが沖縄へ行き、ものの考え方や人生観に大きく戸惑った経験、そしてしばらくするとその環境に慣れていき、自分の新しい価値観として自然に受け入れていく事ができた経験が、現在の上野先生の野球の指導の根底に生かされています。生徒達にも、自分と同じように挑戦してみて、戸惑いながら成長していってほしいと願っているそうです。沖縄で過ごした青春時代は、上野先生のものの考え方や生き方を形作るのに大きな影響を与えてくれました。私は、上野先生へのインタビューを通して、自分が知らない、行ってみないと分からない沖縄のこと、そして沖縄で学べる大切な事を知ることが出来ました。
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2016年02月23日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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沖縄出身同士の私と父の友人の島袋宗春さんが話す
〜沖縄県民同士だからこそ分かり合える沖縄と関西の違い〜

担当:関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 大内大旗

沖縄出身同士の私と父の友人の島袋宗春さんが話す沖縄県民同士だからこそ分かり合える沖縄と関西の違いについてのお話しです。
30年間、大学院入学を機に島袋さんは本土へ移り住みました。沖縄から離れて、地元である沖縄を客観視できるようになり、最初に感じた違いが「…雪」!!!若いころに比べると今は耐えきれないようで、老後は沖縄でのんびり過ごしたいそうです。
また、沖縄から離れたことで沖縄県民のゆるさ、うちなーたいむ、てーげーぶりが離れてみて初めて分かったようです。しかし、そのゆるさで様々な文化を取り入れ、今のような独特な沖縄文化が誕生したのだと考えていました。
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要約2
島袋さんとお話が進む中、特に盛り上がったのが沖縄料理についてです。
島袋さんが感じた沖縄料理と本土の料理の違いは「見た目」だそうです。本土の料理は彩りまでこだわり、食卓の美を飾るところまで意識しているように感じたそうです。沖縄は「食べられればいい」というゆるさで見た目までは気にしておらず、そんなところまでてーげーな文化があります。本土と沖縄の沖縄料理の違いについてお伺いすると、沖縄県民らしい食材や味、歯ごたえなどのこだわりを見せる姿も見られました。さらに、沖縄の食文化の歴史について話してくれました。昔を生きた島袋さんだからこそ知っている、今と昔の食文化の違いや今の食文化になったことで、沖縄県民にはどのような影響が出ているのかを話してくれました。
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要約3
インタビューの最後に島袋さん自身が変わったこと、成長できたことについてお伺いました。沖縄にいたころはウチナータイムの影響で時間にルーズであったが、しっかり時間厳守が出来るようになり、仕事もてーげーでやることは本土ではもちろん通用しないことを意識し、自分の納得いくまで仕事をするようになったようです。沖縄にいたころと今の自分は違うと自信に溢れた態度で話してくれました。「人間は環境次第で生き方が変わる」島袋さんは30年前、沖縄から本土という環境を変える大きな一歩を踏み出したことで、慣れない環境の中で生活することで大きく生き方を変えました。これから沖縄から本土へ出てくる人や自分の主張がうまく出来ない人へ向けての激励の言葉のように感じ、私自身にも大きく響きました。
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2016年02月20日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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「バイタリティー溢れる國吉賢さんのエイサーとの関わり」
関西学院大学 総合政策学部 山中速人研究室 3年進級制作番組 担当:増留稔彦

♦トーク1
今回、私がインタビューさせていただいたのは、兵庫県三田市にお住まいの國吉賢さん42歳。家族で5年前から住宅兼店舗の沖縄料理店を経営され、2007年には沖縄の伝統芸能であるエイサーのチームも創設されました。
國吉さんは沖縄県那覇市で、18歳まで育ちました。父親が眼鏡屋さんを経営しており、跡を継ぐため大阪の眼鏡の専門学校に通われました。卒業後、沖縄に帰り父親の眼鏡屋で働きましたが、向いていないと感じ始め音響関係や観光関係の仕事にも挑まれてきたそうです。仕事の先輩から、神奈川県鎌倉市の沖縄料理屋で一緒に働かないか?と誘われ数年間働き、そこで奥様で出会い結婚しました。結婚後、沖縄に戻られましたが、なかなか仕事が見つかりませんでした。そこでもう一度、本土に出ることに決め、現在の兵庫県三田市で沖縄料理店を始めました。そして、喜心伝という名のエイサーチームも創設されました。

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♦トーク2
エイサーの始まりはいつなのか等お伺いしました。エイサーは、お盆に踊られ、ご先祖様をお迎えし、楽しんで頂き、五穀豊穣を願うのが起源である念仏踊りだそうです。またエイサーの発祥は沖縄県ではなく、福島県いわき市とのことでした。1603年の江戸時代に、福島県から琉球に漂着した袋中上人がエイサーを伝えた人物だそうです。
エイサーは沖縄県沖縄市がメッカで、沖縄市内の各地域にはエイサーを踊る青年会が数多くあり、昔からずっと踊られているそうです。一方で國吉さんが生まれ育った那覇市は各地域から多くの人々が集まる街とあり、青年会がほとんど存在せず、小学校の運動会ぐらいでしか踊らないとおっしゃっていました。
國吉さんは、沖縄でエイサーを全くしたことがなく、興味もありませんでした。エイサーを始めたきっかけは、三田市に来てから、夏祭りに子供が退屈そうにしている姿を見て「ちょっと太鼓持って踊らない?」と声をかけたのが始まりだそうです。

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♦トーク3
國吉さんは、楽しんでエイサーをやりたいと思い、國吉さん一家そして地域の人達だけでエイサーを始めました。しかし、真剣にやりたいと気持ちが変わっていき一旦解散されました。そして再び、三田エイサー喜心伝という名前に変え活動を始めました。最初は人数が少なかったそうですが、今は下が小学校2年生、上は50歳といった老若男女問わず、幅広い年齢層で構成され現在30人で活動されています。人数も増えまとめるのが大変だとおっしゃっていましたが、奥様のサポートもあり活き活きと活動されています。
喜心伝は、祭りに関係がないハーフマラソンにも参加されています。目的は知名度のアップと走っている人たちに、わー!楽しいわ!と思う気持ちを共有したいという思いがあるそうです。エンターテイナーとしてのおもてなしをとても大切にされていました。

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♦トーク4
國吉さんたち喜心伝は、三田市の姉妹都市であるアメリカのキティタス州のエレンズバーグでエイサーを披露しようと試みています。本当は最初に沖縄で踊りたいと考えていたそうですが、三田市をメインに活動されているので、姉妹都市であるエレンズバーグで踊るのが一番いいなと思われたようです。子供達にも外国で沢山の事を経験させ、視野を広く持ってほしいとおっしゃっていました。
國吉さんに、本土での生活の違いについてお聞きしました。沖縄から本土に出て、自分のなまりが凄く気になったそうです。しかし、年を重ねるごとになんとも思わなくなったとおっしゃっていました。また、昔の人は沖縄人と言われることに対して、嫌な気持ちを持った人が多かったそうですが、國吉さん自身は、関西で暮らしている人も関西人と言うし気にならないとおっしゃっていました。國吉さんは、無理に本土の生活に合わせようとしていない所に、沖縄出身という誇りを持っているように感じました。
今回のインタビューを通じて、國吉さんは非常にバイタリティー溢れる方だなと感じました。同時に人情の厚い、温かい心もお持ちの方なのだと感じさせられました。みなさんも喜心伝のエイサーをご覧になってはいかがでしょうか。本日はありがとうございました。
posted by fmyy at 13:48| Comment(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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