2016年03月15日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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タイトル:知ってるの?こんな時代もあったよ!
担当:関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年 邵 丹

◆トーク1
奄美出身の三ヶ島諒子さんに自分の故郷沖永良部島をご紹介していただきました。
沖永良部島は、百合の花、富士茶の花と鍾乳洞、永良部で有名な観光地です。青い海、白い珊瑚礁、魚の泳ぎも見えるぐらい、きれいな景色があります。その美しい島で育ったた三ヶ島さんは、昔の生活を思い出しながら、話してくれました。
6人兄弟の家庭に育って、テレビはもちろん、服も兄弟の間で順番おにさがりで着ていたそうです。今では想像できないほどとても貧しかったそうです。当時、ちゃんとしたトイレもなくて、農産物をよく成長するために、その肥からできた“肥料”を使っていました。そして、学校の設備が不十分で、苦しい環境で学校生活を過ごしました。今の人が想像できない生活でした。
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◆トーク2
当時の沖永良部島では畑の砂糖黍をとって製糖会社に持って行って、賃金をえるというぐらいしか現金収入はなかったのです。そして、電車も飛行機もなくて、交通手段は船とバスだけでした。一時間一本のバスは都市と違って、手を挙げたら乗せてくれるらしいです。みんなが知り合いですから。
しかし、戦争が起きて、アメリカの戦闘機が飛んできたとき、電灯を使えず月夜に下でみんなでご飯を食べた事も、アメリカ兵の偉そうな顔も頭の中に残っています。
沖縄と奄美諸島は、戦後何年も日本復帰ができなかったです。老若男女に問わず、島民のみんなが島の海岸を回って、大規模な復帰運動をしました。1953年にようやく日本に復帰しました。みんなが大変喜び、万歳、万々歳を呼びながら、島を回りなました。
その時に本土から様々な物資が運ばれてくるようになり、まちがにぎやかになりました。三ヶ島さんはゴムの靴を買ってもらって、大変嬉しかったそうです。
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◆トーク3
島に現金収入がないから家計を助けるため、神戸にいるおばさんを頼って、島を離れました。一泊二日をかけて、神戸につきました。信号機があるし、人が多いし、にぎやかな商店街があるし、楽しかったです。そして、工場で主人に出会い、今年結婚50年を迎えました。お互い元気で、幸せな日々を送っています。
私は中国の大連からの留学生です。
日本と中国は近隣国で、生活習慣や、文化など様々な面で共通しています。私のおじいさんやおばあさんの話でも、昔は服は親戚の子どもたちの間で、順番に回す事、信号機や電車がなかったこと、お祝いする時には豚を殺してみんなで食べることなどを聞いていたので、三ケ島さんの沖永良部の話とは全部一緒でした。
私もおばあさんの話を聞いて、昔の生活を想像しながら、今の幸せの生活を感謝しています。
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2016年03月08日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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タイトル「言葉の壁と島への想い」 
担当:関西学院大学総合政策学部 秋庭美咲

◆トーク1
兵庫県で「おきなわんcafé ちゅらかーぎ」を経営されている、波照間永輿さんのライフヒストリーについて。
1948年石垣島出身で中学卒業後に集団就職をされました。
沖縄と内地を行き来しており、料理の腕を磨いていらっしゃった。
また、大工を15年間していた時もあったそうです。
経営されている沖縄料理店は沖縄好きの人が集まるお店にもなっています。
これからの話は、言葉によって壁にぶつかったこと、島への想いに焦点を当てています。
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◆トーク2
言葉が違うというだけで、ひどい目に合わされていたという波照間さん。
当時の思い出や、どのようにして乗り越えたかなどをお聞きしています。
また、集団就職後もぶつかったという言葉の壁についてお聞きしています。
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◆トーク3
沖縄本島と、石垣島などの島々では、食べるもの、風習、言葉が違うのです。
沖縄本島との違いで、困ったことなどお聞きしています。
うちなーぐちの紹介。「なんくるないさ」「いちゃりばちょーでー」
最後に、沖縄料理店を営んでいてよかったことをお聞きしています。
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2016年03月04日

関西学院大学山中速人研究室3年進級課題番組「内地に住む沖縄人の多様性」

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タイトル:「琉球舞踊と生き方」
担当:関西学院大学山中研究室 古井 美冴 

◆トラック1
私がインタビューしたのは仲村知子さんという女性です。仲村さんは関西に住んでいる沖縄2世の方で、今はNPO法人関西琉球舞踊研究所の代表をされています。仲村さんのご両親は沖縄出身で集団就職の時に関西にわたりました。そして、仲村さんは、関西で生まれ育ちました。幼少期沖縄人であるために差別、偏見があったそうです。その沖縄のことを理解してもらえなかった経験が関西に住む人々に琉球舞踊を通して沖縄の文化を知ってもらう活動のきっかけとなっています。


◆トラック2
仲村さんは沖縄の文化に誇りを持ち活動されています。それは、仲村さんのご両親が誇りを持ち、生きてきた影響だといえます。仲村さんが琉球舞踊に深くかかわって生きていることは、ある種のルーツ探しと言えるかもしれません。仲村さんは、沖縄では内地の人、関西では沖縄の人、と言われることがあるそうです。仲村さん自身は、生まれも育ちも関西でも、私の中には100%純粋は沖縄の血が流れていると表現されています。
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◆トラック3
仲村さんが今の活動をするようになるまでお話を伺いました、仲村さんにとって琉球舞踊は生活の一部、生まれた時からそばにあったそうです。NPO法人関西琉球舞踊研究所の活動は、カルチャーセンターでのお稽古と舞台公演です。仲村さんは沖縄には日本とは違う1つの王国があった歴史があり独自の文化がある、ということを知ってもらいたい、琉球舞踊をきっかけに沖縄の文化、歴史に興味を持ってもらえる人が増えればいいと語っています。
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